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春分の日に北アルプスを眺めに行く…その5

降雪の弱まる気配のない車窓風景の中、日の出前に通ってきた線路を、小さな駅には停まらずにおよそ45分。
仁科三湖と呼ばれる青木湖・中綱湖・木崎湖の湖畔をたどって、車窓から見える雪がぐっと減ったような気がしたら、長野県中信地方の中心地、大町市の信濃大町駅に到着です。

ここからのつづき



事前の打ち合わせなどでは一切話題に上ることがなく、全くの予定外で降り立った信濃大町駅。
わずか3分の接続で出発する松本駅行きには乗らずに、ボクたち4人はひとまず改札口を出て街に出てみることにしました。

駅前は、白馬や南小谷と比較して圧倒的に栄えているようですし、また降る雪や積雪の量も断然少なくなっています。
やはり、積雪量が人々の住みやすさ、住みにくさに大きく影響を与えているようです。

事前知識のないボクや遊助御大は全くのノーアイデアでしたので、焼酎学生さんが行ってみたいと希望した「市立大町山岳博物館」に行ってみようということになりました。
歩くにはちょっと距離があるので、ここはタクシーで、と訊いてみたところ、博物館はちょうど改装中で開館していないとのこと。
タクシーの運転手さんが無線でそのことを確かめてくださいました。
(後日、3月29日にリニューアルオープンしたことを知りました)

そこで、今一度駅構内に戻って観光地図を見てみたところ、温泉街などは駅から離れていて往復に時間がかかりそうなことがわかりました。
ならば駅周辺で気軽に見られそうなところに行ってみましょうと、駅周辺地図でふと目に停まったのが「塩の道博物館」。
白馬駅から白馬大池駅まで歩いている時に、この国道148号線の西側の山の中に「塩の道」というのがあるらしいと焼酎学生さんが話されているのを思い出して、急に興味が湧きました。

地図で見る限り、駅前商店街を歩いてわずか信号2つ先、徒歩5分といったところでしょうか。
次の電車までは1時間以上もあります。じゃあ、行ってみましょうか。

塩の道ちょうじや 外観

歩道の上にアーケードのかかる商店街を歩いて5分少々。
2つ目の信号まで来ると、右手方向になまこ壁のある蔵のような造りの建物が見えました。
ここが「塩の道博物館」なのでしょう。さっそく入ってみることにしました。

塩の道ちょうじや 母屋

以前、問屋だったという母屋は明治23年に建てられたものとのこと。
梁組などが立派でついつい見入ってしまいましたが、換気のために天井付近に開口部があって、屋内にいても実は寒いのです-
暖かい囲炉裏端で係員の女性の方から概要の説明をうかがったのちに、館内を見学します。

解体寸前だったという旧塩問屋を市民で買い取って1982年に開館したというこの「塩の道博物館」ですが、その運営会社が解散して存続が危ぶまれていたところに、新たな有志の手によって昨年再度開館することができたのだそうです。
その際に、誰もが気軽に立ち寄れる場としたいとの気持ちで、名称から「博物館」を外して、旧屋号をひらがな書きにした「塩の道ちょうじや」としたのだとのこと。

「見学中は寒いですから、これをお持ちください」
そう言われて渡された、柔らかいカバーに包まれた直径20cmくらいの小さな湯たんぽ。
“博物館”という堅い名前を外したという考え方の一端を垣間見たような気がしました。
(…なのに、囲炉裏のある土間や、肝心な湯たんぽをカメラに収めるのをすっかり忘れました)

塩の道ちょうじや 帳場

古くから栄えていた信州・松本などの内陸部の街に塩を運ぶために利用された道が「塩の道」。
ここ大町市は、日本海側の糸魚川から松本までを結ぶ千国街道(ちくにかいどう)上の中継地として栄えていたのだそうです。

塩の道ちょうじや

塩の道ちょうじや

塩の道ちょうじや

平林家の営んでいた塩問屋を再興した母屋は、明治23年(1890年)に建てられたもの。
帳場から狭くて急角度の階段を上って2階を巡りながら、塩の道の歴史や実際に使用されていた道具、また塩に限らず物品の流通によって栄えてきた街道沿線や大町の歴史などをわかりやすく学ぶことができます。

塩の道ちょうじや

塩の道ちょうじや

日本海側からはJR大糸線に沿ったこの千国街道、太平洋側からはJR飯田線に沿った三州街道などを利用して、信州に塩が運ばれていた。
-そういえば、立川駅から乗った電車で、松本駅直前の途中駅に「塩尻」という駅がありましたが、そこが海から来た街道の終点ということなのでしょうか?
海から離れた高地に来て塩のことを学びました。
…それにしても、ここに展示されたイメージモデルの人形たちの表情のなんとも好いこと!

塩の道ちょうじや 中庭

塩の道ちょうじや 中庭

塩の道ちょうじや 塩蔵

塩の道ちょうじや 塩蔵

「塩の道ちょうじや」は、明治時代に建てられた母屋と江戸時代に建てられた三つの蔵と、平成に入って併設された流鏑馬会館(やぶさめかいかん)のふたつの施設を見学することができるようになっています。

塩の道ちょうじや 中庭
右側の三つの蔵は江戸時代、奥の母屋は明治時代、
そして左側の建物は平成になって建ったもの。
100年以上の築年差のある建物に囲まれた中庭に、雪が舞う-


流鏑馬会館

流鏑馬会館

流鏑馬は、市内若一王子神社(にゃくいちおうじじんじゃ)例大祭の行事のひとつで、鎌倉の鶴岡八幡宮、京都の賀茂神社と共に、三大流鏑馬のひとつと数えられていて、その中で唯一のこどもが射手の流鏑馬なのだそうです。
流鏑馬会館では、“ボボ” と呼ばれる射手たちが頭につける三階傘という冠と緋色の華やかな衣装などが展示され、また例大祭の様子を映したビデオが上映されていました。

塩の道ちょうじや

塩の道ちょうじや

ただ立ち寄っただけの街でも、その文化などを知ることによって、自分がその地を踏んだことに確かな実感が得られたり、立ち寄って良かったなと思えてきたりすることがあるものです。

本当は、今回行くことのできなかった「市立大町山岳博物館」や市内の町家をもっと見学してみたりもしたかったのですが、「塩の道ちょうじや」を見学することができただけでも、ボクの中で大町市に対する意識が大きく変わったので、それはそれで良かったのだろうと思います。
僅かな滞在時間の中での見学でしたが、とても勉強になったひとときでした。

信濃大町駅


さて、信濃大町駅に戻って、次は松本駅に向かいます。
《つづく》
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Re: 焼酎学生さま

「塩の道ちょうじや」は、ホント、好かったですねぇ。
旅は、こういう思いもよらない場所で知識欲を満たしてくれるところも、いいんですよね。
湯たんぽは、ちょっと感動しました。

一度経営が立ち行かなくなったところで再建に立ち上がったのが、あの日にいらっしゃった3人の女性の方のようです。
心が伝わってくるような施設になっていましたね。

No title

「塩の道ちょうじや」見学は、予定外の大きな収穫でしたね。
意外な湯たんぽサービスも役立ち、嬉しかったです。
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