映画 『鉄くず拾いの物語』

《ものがたり》
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに住むロマのナジフとその妻セナダは、二人の娘と一緒に暮らし、セナダは三人目を身ごもっていた。
ナジフは拾った鉄くずを売り一家の生計を支え、貧しいながらも穏やかで幸せな生活を営んでいる。
ある日、ナジフが長い労働から家に帰ると、セナダが激しい腹痛に苦しんでいた。翌日ナジフは車を借り、一番近い病院へとセナダを連れて行く。
流産し5カ月の胎児はお腹の中ですでに死んでいると診断され、遠い街の病院で今すぐに手術をしなければ命に関わる危険な状態だと言われる。
しかし保険証を持っていなかったため、彼らには支払うことのできない980マルク(500ユーロ)もの手術代を要求された。
ナジフは「分割で払わせてくれ」と、必死に妻の手術を看護師や医師にお願いするも受け入れられず、その日はただ家に戻るしかなかった。
ナジフはセナダの命を救うため、死にもの狂いで鉄くずを拾い、国の組織に助けを求めに街まで出かけてゆくが…。



映画 『鉄くず拾いの物語』


旧ユーゴスラビアは、ヨーロッパ東南部のバルカン半島に位置する多くの異なる民族が混在する、かねてより経済的な豊かさに遅れている地域。
第一次世界大戦後に成立した国家は1991年からのユーゴスラビア紛争を経て連邦共和国を構成していた6つの国がそれぞれ独立して、結局は解体されて今に至っています。
この作品の舞台は、そんな共和国の中のひとつ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
紛争が集結して独立を果たしてから既に20年近くが経ちますが、国名が表す通り、それでも2つの民族が融合して成り立つ国家。
そして主人公のナジフとセナダの家族はその2つの民族よりもさらに少数派の “ロマ”、いわゆる “ジプシー” と呼ばれてきた人々で、そういった背景から自ずと貧しい生活をしているのだろうということが容易に想像されます。

実際に彼らの生活は貧しく、キッチンも設けられたそれほど広くない一部屋に家族4人が生活しているという状態です。
暖房はキッチンのコンロも兼ねるストーブで、その熱源は焚き木。
薪が燃え尽きるとナジフはのこぎりを手に近くの雑木林に出かけていきます。
生活費も、近所に住む仲間や兄弟と廃車を解体しては鉄くず屋に持ち込んで僅かな収入を得て持ち帰るという状況で、焚き木同様、その日に調達という案配の生活。
廃車の解体にも専用の道具を使用するわけではなく、ハンマーや斧といった簡単な道具で叩いて壊すという、見るからに効率の悪い作業工程です。
部屋にテレビがあったり子どもたちがDVDを見たりするシーンがあることにむしろ違和感を覚えるほど、彼らは “その日暮らし” な状況であることをカメラはじっくりと追っていました。

不出来な国家政策と歪んだ社会情勢がもたらす泥沼状態の貧しさが、大きな障壁として彼らに立ち向かってきます。
そんな厳しい状況の中でも、愛すべきものはやはり家族。
家族に何かあった時に、とにかくひたむきに危機を脱しようと努力するナジフの姿に打たれました。
しかし、当座の問題は解決できたとしても、“その日暮らし” な状況という根本的な問題は一切解決されず…。

この実際に起きたエピソードを知った映画監督のダニス・タノヴィッチは、怒りに震えて自己資金を投じて9日間の日程で撮影をしたのだそうです。
そういった事情もあって、登場人物たちはナジフとセナダの夫婦をはじめほとんどが実際の当事者で、ロケ地もほとんどが実際の現場とのことですし、エンドロールまで見てきて気づいたのは、背景に流れる音楽も一切なかったということ。
監督がそれほどまでに伝えたかった “ボスニア・ヘルツェゴヴィナの今”。
ボクたちがボスニア・ヘルツェゴヴィナに対して何かできることは簡単にはないのかもしれませんが、もしかしたら日本国内にも実は見過ごされている不具合な現実というのがあるのかもしれないということに考えが至りました。
折しも、日本も東日本大震災から間もなく3年であり、阪神・淡路大震災から19年の冬。
復興の陰に、取り残された人々などはいないのでしょうか…。
作品を見終えて出た東京・新宿の雑踏の中、ボクの頭にはふとそんなことがよぎったのでした。

かつて2001年公開の初監督作品『ノー・マンズ・ランド』でカンヌ国際映画祭脚本賞やアカデミー賞外国語映画賞などを獲得したダニス・タノヴィッチ監督は、あれから10年以上経った今日も祖国のために祖国に戦いを挑んでいました。




関連記事

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

Re: 焼酎学生さま

「ハインリッヒの法則」について、初めて知りました。
300人に異状があり、29人に軽微な事故が生じて、重大事故が一件発生するという労働災害における統計学的な経験則なのだそうですね。

この比率で考えるならば、300人はなんだかんだ言いながらも普通に暮らしていて、29人は不都合はあるけれどもやがて解消される。
でも1人は注目もされておらず改善もされないというイメージでしょうか。
そのひとりにも必ず救いの手が差し伸べられるような社会には、どうすればなっていくのでしょうね?

No title

60年ほど前に覚えた、1対29対300(ハインリッヒの法則?)を思い出しました。
この映画のストーリーには当てはまりませんが、300人が無事でも、29人は危機、1人は絶望などと連想しました。
各地の自然大災害の被災者へ、心が及びます。
最新記事
最新コメント
プロフィール

I.Z.

Author:I.Z.
I.Z.と書いてイーズィーと読みます。
こまめというわけにはいきませんが、ちょっとしたことを書き記してみます。

最新トラックバック
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ClockLink

サイトの訪問者数:
現在の閲覧者数: