映画『アデュー・フィリピーヌ』

ジャック・ロジエのヴァカンス19日まで渋谷のユーロスペースで開催されていた、ジャック・ロジエ監督作品を一挙に上映する特集“ジャック・ロジエのヴァカンス”で上映された一作品 『アデュー・フィリピーヌ』 を見てきました。

ジャック・ロジエ監督は、1950年代末に始まったフランス映画におけるいわゆるヌーベルヴァーグの旗手のひとりで、この『アデュー・フィリピーヌ』はその長編映画デビュー作なのだそうです。
ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』は何回か見たことがあり、その主演、ジャン・ポール・ベルモンドも大好きな俳優のひとりですが、ヌーベルヴァーグの映画とはどういうものなのか。そういったことは今ひとつキチンと理解できていません。
ですから、今回の『アデュー・フィリピーヌ』も具体的にはどうすごい作品なのかなど全く知らずに鑑賞することになりました。

1960年のフランス・パリ。3か月後に兵役を迎える主人公の青年ミシェルが、勤務先のテレビ局で仲良しのふたり、リリアーヌとジュリエットをナンパ。自分が大物であるかのように見せつつ、だましながら3人でデートを重ねる。
しかし仕事上でミスをしてクビになったミシェルは、徴兵前の休暇として南仏コルシカ島に行き、そこにふたりもやってきて…。

常に浮ついた気持ちで仕事をして、仲間4人でクルマを手に入れてナンパのために乗り回したりする様子が続く前半は、映像のカットや演出こそ斬新ながらも、ただ単に「当時のパリの若者は、こんなに軟弱だったのか?」としか思えないほど、とても軽い展開で進みます。なにもかも軽く考え、勢いだけで行動に走る若者。
これのどこが“ヌーベルヴァーグ(新しい波)”と呼ばれ、人々に衝撃を与えたのか?
むしろ、風采の上がらないミシェルの父親が日常の食卓で語る「アメリカよりも怖いのは中国だ。今は人口6億だが、2000年には10億になっている」などというセリフの方に、「イヤまさにその通り!」と今や13億人に達している事実を予見していたことに驚いたりして…。

しかし、南仏コルシカ島を舞台にした後半で、話が少し重くなってきます。
もともとミシェルも本気ではなかったのですが、リリアーヌとジュリエットも遊び感覚でつきあい始めただけで、本気という感覚は希薄でした。
それがコルシカ島で遊ぶうちにふたりの間に感情の溝が生じ始めて、この辺からようやくこの映画で描きたかったことがわかり始めます。(…って、遅すぎますかね?)

この映画が制作され、また同時に舞台となっている1960年のフランスは、北アフリカ・アルジェリアがフランスの支配から独立を目指した“アルジェリア戦争”が勃発してから6年目。この2年後に戦争は終結しますが、この1960年はのちに「アフリカの年」と呼ばれるほどアフリカにおけるフランス植民地からの独立が相次いだ年だったのだそうです。
そんなさなかに兵役を控える青年の心境は、どういったものだったのでしょう。
大都会のパリでも、ヴァカンスの地、コルシカ島でも、至って平和そのもの。
それなのに、自分にはあと数ヶ月で生死もままならない戦場に自ら向かわなければならない-
そこはかとない閉塞感が漂っているのは、今の日本となにも変わらないのかもしれません。
いやむしろ、命のゆくえさえもわからない現実と平和な日常との差は、当時の方が大きかったのでしょう。
そういった環境で、仕事などなにごとにも本腰を入れられず刹那的に遊んでしまうという若者の気持ちが次第にわかってきます。

タイトルの『アデュー・フィリピーヌ』、「さようなら、フィリピーヌ」。
作品の中ではリリアーヌとジュリエットが、「明日の朝、先に“アデュー・フィリピーヌ”と言った方がミシェルを彼氏にできる」という、いわば賭けのような遊びの言葉として扱われていました。
ならばなぜ“フィリピーヌ”(フィリピン)なのか? その意味が知りたくなって、少し調べてみました。
“ボンジュール・フィリピーヌ(こんにちは、フィリピーヌ)”というのがもともとの遊びなのだそうです。
“フィリピーヌ”とは“巴旦杏(はたんきょう)”の実、つまりアーモンドのこと。
アーモンドの実をふたつに分けてふたりで持ち合う。次にそのふたりが会った時に先に「ボンジュール・フィリピーヌ」と言った方がプレゼントをもらう。
その“ボンジュール・フィリピーヌ”をもじって、『アデュー・フィリピーヌ』としたのでしょう。
ひとつのアーモンドをふたつに分けたようなリリアーヌとジュリエット。「ボンジュール」ではなくミシェルに本当に「アデュー」と言わなくてはならなくなった皮肉な現実-

作品は110分間のモノクロ映画でした。
音声がもし聞こえなくとも映像さえ見ていれば楽しめてしまう、しかもリアルを追求して今や自分がそこにいるかのような感覚さえ与えてくれる3D立体視にまで進化した今時の映画に対して、鮮やかな色彩もなければときどき途切れさえするモノラルの音声。
表現するための技術は今とは雲泥の差がありますが、不思議なものでモノクロでも、パリでは都会的なカラフルさ、コルシカ島は自然の美しさと太陽のまぶしさ、見ているボクたちには十分鮮やかにまぶしく感じられてしまうんですよね。
1960年当時、この映像はいろいろな意味で当時の人々には鮮烈に映ったのでしょうね。
全く知識のないまま見た作品でしたが、とても楽しむことができました。
たまには良いものですね、こういった古い作品を見てみることも。
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