本格科学冒険映画 『20世紀少年 -最終章- ぼくらの旗』

コミックは読んだことがなく、映画のシリーズでは過去の「第1章」と「第2章」はテレビで見ただけという状態で、〆の最終章だけ映画館で見てきました。

『20世紀少年 -最終章- ぼくらの旗』


コミックでは主人公の“ケンヂ”は実年齢でボクより9歳年上の設定ですが、映画でそのケンヂを演じた唐沢寿明はボクより1歳年上、豊川悦司と石塚英彦、宇梶剛士は2歳上、香川照之は1歳下などとおよそ同年代なので、まあ、ボクも「20世紀少年」のひとりとして、同級生感覚で見ることができました。
でも、映画のCMなどで主題歌として印象的に使われているT・REXの名曲「20th Century Boy」を知ったのは、実はごく最近なのですが。

昭和の高度経済成長期、舞台は東京、しかも世代も同じということで、まずはボクたちがど真ん中のターゲットなのでしょう。
彼らの遊びから子供たちの間での流行、未知のものへ興味を持つタイミングまで、なにひとつ説明がなくとも自然と理解できているので、スクリーンを追うことにはなんの苦労もありません。
「懐かしいなぁ」とか、「ああ、そういえばこんなものあったなぁ」などと思っているうちに流れていくのが、彼らが子供だった頃の映像です。

戦後の平和国家に生まれながら、親の世代が築いてきた新しいはずの世界は意外にも競争に満ちていて、精神的にもなんらかの仮想の敵に立ち向かう勧善懲悪の正義が求められてきた世代です。
そんな中、ボクにとっては意外に新鮮だったセリフが第2章にありました。
それは、闘いを挑む仲間たちを前に大人になったケンヂがいうひとこと。
「危なくなったら、とにかく逃げろ」

これは、当時のヒーローものの特撮テレビ番組やアニメーションにはなかった考え方です。
当時の日本のヒーローたちは、自らを犠牲にしてまで地球や人類を守っていました。
ウルトラマンのシリーズではヒーローは結局死んだりはしませんでしたが、力尽きるまでなぜか地球防衛に尽力し、精も根も尽き果てた状態で宇宙に帰って行っていましたし、宇宙戦艦ヤマトは「さらば宇宙戦艦ヤマト」において古代進がヤマトと共に巨大戦艦に突入するというまるで特攻隊の思想を美化する結末がありました。また、あの鉄腕アトムも確か、何かのカプセルを抱えて太陽に突入するという最終回だったように記憶しています。
反戦がうたわれ平和になった世の中だったはずですが、経済競争などが背景にあったせいもあるのでしょう。ボクたちは、誰かを敵に見立ててでも、それに打ち勝つことが美であると教えられて来ていたし、またそれを信じてもいたのです。
ですから、もし身に危険を感じてもそれを努力で打破することが求められ、逃げることは敗者のすること、逃げることは負けを意味していました。「逃げるが勝ち」なんて、「負け犬の遠吠え」と同義語だったのです。

そんなヒーローたちを見て育ったはずのケンヂが、いざ自分自身が闘わなくてはならなくなった時に思ったことが、「危なくなったら、とにかく逃げろ」でした。
最終章では、仲間たちのひとりひとりがその言葉を理解して、大団円を迎えます。

実社会での「20世紀少年」たちは、21世紀の今、社会の中核にいて世の中を動かす存在になっています。
それが正しかったのかどうかはわかりませんが、全員が少なからず何かに立ち向かい、闘ってきて今がある。その根底には、何かのヒーローにあこがれて、そのヒーローよろしく闘ってきた道があります。
それら闘いの中で、誰もが無意識に見いだしたはずの、「危なくなったら、とにかく逃げろ」。
そんな「危なくなったら、とにかく逃げろ」という考え方について、この作品を世に送り出すことによってようやくおおっぴらに言えるようになったのではないかなんて、ちょっとおおげさに思っていたりします。
「危なくなったら、とにかく逃げ」るのは、基礎的かつ常識的、しかも本能的なものですから。

子供の頃は、“ごっこ”には妙なリアリティを伴って遊んでいました。
ただ、むずかしいところだけはなぜかわからないけれども、矛盾に満ちた優しいルールによってうまい具合に回避されていました。
“死”んでも10まで数えれば復活できるとか、どうした設備があるのかわからないけれど、決して敵が侵入してこられない“セーフ”というエリアがあったり、肩幅に両方の手のひらを広げておけば敵の攻撃を受けない“バリア”になったり…。そういえば、あの頃の“ごっこ”って、どうやって終わらせていましたっけ?
誰かが帰るから終わりとか、暗くなってきたから勝手に帰っちゃったとか、そんななし崩し的なことが多かったような気がします。

「20世紀少年」は、世界中を巻き込んだおおがかりな“ごっこ”を終わらせる話です。
見終わっても大きな感激や感動などは一切ありませんでしたが、一方で、物語を作り上げてそれを実際の映像化までしてしまった人たちの壮大な“ごっこ”には、とてもうらやましさを感じました。
この映画はきっと、作っている人たちが最も楽しめたであろう作品なのだろうと思います。完成した作品を多くの人たちに見せて、その時、随所でいろいろな反応をするのを見るのが一番楽しいのだろうと思います。
“ごっこ”は、引っかかる側よりも、工夫を凝らして引っかける側の方が絶対に楽しいのですから。

ところで、21世紀少年たち、平成フタケタ世代はこの映画をどうみるのでしょうね?
聴いてみたい気もします。
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