群馬県赤城山 「忠治肌脱ぎ地蔵尊」

群馬県赤城山の山頂、大沼(おの)湖畔に忠治肌脱ぎ地蔵尊という祠がありました。
演劇や講談で有名な国定忠治(くにさだちゅうじ)を祀る祠というわけですが、ここに立ってふと気付いたことがありました。
-それは、ボクは国定忠治について、何の知識もないということ。


もちろん国定忠治が渡世人であることや、赤城の山も今宵限り~という名セリフぐらいは知っています。
しかし、具体的にどんなエピソードが講談などで語りぐさになっているのか、「赤城の山も今宵限り~」というセリフはどんなシーンで語られたのかなど、ホント、知らないことばかりだったのです。


忠治像の脇には、「赤城山頂忠治肌脱ぎ地蔵尊奉賛会」という団体が昭和53年に建てた国定忠治という人物の紹介文が掲げられていました。
トタン板に黒ペンキで書かれた紹介文は、その文字のところどころが白く剥げてしまっていてとても読みにくかったので、その場で読み切るのは断念。写真に撮ってあとから読むことにしました。


江戸時代後期、この赤城山南麓を支配していた侠客、国定忠治は対立する博徒を殺害し、忠治一家は関東取締出役から一斉手配を受けます。
一家の幹部がつぎつぎ逮捕されていく中、忠治は会津方面に逃亡することとなり、村を去る直前にこのセリフを語ったわけです。
赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て、可愛い乾分(こぶん)の手前(てめえ)たちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ
これは、新国劇でのセリフなのだとか。
男と男の友情モノに弱いボクとしては、俄然興味が湧いてきます。

やくざの大親分として名を馳せている国定忠治ですが、実際は粗服で通し、堅気衆や農民たちと道で出会うと小腰をかがめて道を譲ったと、さきほどの看板には書かれています。
博徒の世界と堅気の世界は違うと、やくざの世界に足を踏み入れかけている若者には無為な苦労を掛けて一刻も早く足を洗うように促したり、天保の飢饉では私財を投げ打って農民を救済したということも知りました。
そもそも、対立する博徒たちの殺害も、田畑に水を供給する水門の実権を握っていたのがその対立陣営だったということで、農民の立場から及んだこと。
農民たちにとっては杓子定規で動かない役人より、頼りになるのは国定村の忠治さんだったのでしょう。


会津に逃れた忠治は、その知られた人徳で各地で厚遇されたそうですが、4年後に上州に戻ってきてその後、逮捕。
そのころには脳溢血で倒れて、会話もままならない状態に陥ったことすらあったそうですが、それでも最後まで権力と闘った男、ついに磔の刑執行という時でも役人に差し出された末期の酒を断って、素面で何十回という槍を受けたのだそうです。

冗談じゃねぇや こちとら男を看板に生きてきたんだ
磔が怖くてよ酒を何杯もかっくらって 酔っちまったらどうすんだい
酔って死んじゃぁ、男じゃねぇ!ってよ!


骨っぽい男気が流行らなくなった現代ですが、国定忠治を調べてみて、久しぶりにロマンを感じたのでした。
昭和の歌手、東海林太郎が直立不動で♪男心に男が惚れて~♪と歌ったのが『名月赤城山』。
あれは国定忠治の歌だったのねと今ごろ知ったボクは、享年41歳で逝ってしまった忠治とは全く違って、平和に安穏に彼より長く生きています。
あ~、もうちょっと詳しく国定忠治のことを知りたくなってきました。旅の効用です。


AUTHOR: 春夏秋冬 DATE: 09/02/2007 19:06:45 興味がわいてきました。
なんか良い本ありませんか
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