「初めて」をテーマに今年の自分を括る

2006年の年末にお送りした Vol.69 に、「今年はあまりお送りしなかった」という記述のあるこの 「ノンキな通信」 ですが、今回はホント、長い間お送りしておりませんでした。
前回の Vol.74 から実に1年10ヶ月もの間ができてしまいましたが、そんな怠惰だった自分は捨て去って心機一転、初めて取り組む気持ちで、今回はお送りしたいと思います。
そんな今回は、毎年一番最後にお送りする「ノンキな通信」恒例の、ボクの今年一年の総括。
今年は、「初めて」をテーマにまとめてみたいと思います。

●「初めて」の体験
 ・キノコ狩り(3月初旬・真鶴):同じ日にイチゴ狩りと夜梅鑑賞
 ・クルマにETCを装着(3月中旬):助成制度を利用
 ・スノーシュー体験(3月下旬・志賀高原):初めての雪国
 ・地元自治会に出席(4月中旬~):マンションの理事として
 ・キャンプ体験(5月上旬・伊豆)初めてのキャンプ体験
 ・乗馬体験(5月中旬・富士山麓):社員旅行の一環
 ・JAFを呼ぶ(7月中旬):クルマのラジエタが爆発してエンコ
 ・キャンプ体験(8月下旬・朝霧高原)初めてのテント泊
 ・タカラヅカ観劇(9月下旬):雪組「ロシアン・ブルー」
 ・サーカス鑑賞(11月中旬):「Corteo(コルテオ)」

志賀高原でスノーシュー体験(3月下旬) 富士山麓で乗馬体験(5月中旬)
朝霧高原で初めてのテント泊(8月下旬) シルク ド ソレイユ 「コルテオ」(11月中旬)


11月下旬に、初めて45歳になりました。
この“初めての~歳”という表現は、「おすぎとピーコ」のピーコさんが朝日新聞のエッセーで、小説「橋のない川」などで有名な作家、住井すゑさんが95歳になった時、ラジオの番組の中で「初めての95歳。楽しみだわ」と話したと書かれていたものをそのまま借りた表現です。
95歳にもなってなお、「初めての95歳」とこれからの日々に期待を抱く気持ちを持つこと、ボクも見習いたいと思います。

今年は、スノーシューや乗馬といったスポーツにキャンプと、ボクのこれまでの人生において(…そんなに大きく出るか!?)も意外なほど、アクティブなことに挑戦した一年でした。
スノーシューは仕事の一環ではありましたが、任意の環境活動に自主的に参加したもの。乗馬体験は、今時の社員旅行の選択肢としてあったものの中から、「こんな機会でもなければできないものを」ということで選んだもので、どちらも自ら選んだというところが、これまでの自分とは異なるものでした。
5年前に椎間板ヘルニアを発症して、その後今に至るまで、右脚にしびれが残っているということが、ボクを“健康”にも向けさせているのだろうと思いますし、来年以降も少なくともしばらくはアクティブにいくのでしょう。
我ながら楽しみ、と言ったところでしょうか。

最後に、今年良かった映画とコンサートを紹介して締めくくることにいたしましょう。

●今年劇場で見た映画(7本)
 ・「マンマ・ミーア」(1月)
 ・「THIS IS ENGLAND」(3月)
 ・「スター・トレック」(5月)
 ・「20世紀少年 -最終章- ぼくらの旗」(9月)
 ・「テイルズ オブ ヴェスペリア ~The First Strike~」(10月)
 ・「風が強く吹いている」(10月)
 ・「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」(12月)
 ・「アバター」(12月)

特に良かったのが、「マンマ・ミーア」「THIS IS ENGLAND」、そして、「アバター」

「マンマ・ミーア」 「THIS IS ENGLAND」
「アバター」


●今年見に行ったコンサート(1本)
 ・「SIMON AND GARFUNKEL」(7月)

最も好きなアーティストのひと組で、もう二度と来ないだろうと言われているグループです。
中でも好きな曲、「Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」の時には涙が出るだろうと想像していましたが、なぜかその気配は全くなし。
ここ数年常に心にあった、“もはや取り戻せない時間への無常感”みたいなものが、最近ようやく薄らいできている模様です。
それが良いことなのか、悪いことなのか…。
ともあれ、意外にも衰えていなかったアート・ガーファンクルの歌声を堪能、大いに感激したのでした。

SIMON AND GARFUNKEL(7月中旬)


以上が、2009年のボクの総括でした。
「チェンジ」という言葉をいろいろな場面で聞くようになって、実際にいろいろな仕組みや考え方が変わろうとして来つつもあります。
とはいえ、今の社会はなぜかどんどん悪い方向に向かっているような印象ばかりが強く、いったいどうなってしまうのだろうと心配にならないわけでもありません。
2000年から始まった2000年代最初の10年が今日で終わり、明日からは、2010年代の始まりです。
今年までが「変わる年」なのだとしたら、来年はボクたちの方が「変わらなければならない年」なのだろうと思います。
いろいろ「初めて」のことに挑戦して、あれこれ試行錯誤しながら良い方向を模索していく、そんな1年にすることを求められているのでしょう。
やれやれ、そういう風に情熱的で能動的でいなければならないのが最も不得意なのに…。

今年は本来Blogを開設していたDoblogが突然閉鎖すると言い出して、それからあれこれ試行錯誤してこのFC2に移ってくるなどということも経験しました。
それに伴ってもうBlogは続けないと去っていってしまった方々もいらっしゃいましたが、FC2に来てからお友だちになったような方々もいらっしゃいます。
基本的に、ボクの言いたい放題に対する皆さんからのコメントでこの「日々の一筆箋 2」は成り立っています。
そういったわけですので、ホント、読者の皆さまには感謝しております。
今年一年、たいへんお世話になりました。
おそらくこれが今年最後の更新になるだろうと思いますが、来年もまたよろしくお願いいたします。
それでは皆さん、良いお年を。

ノンキな通信…Vol.75

一曲のサウンドトラックミュージックから

カミさんが持っているCDの中に、映画のサウンドトラックを集めた一枚があります。
1990年にフランスで企画・制作されたCDらしく、ジャケットの裏面に書かれた各曲のタイトルがフランス語で書かれているようです。
(フランス語かどうかを判断するだけの語学力がないので、正しいのかどうかもわからないのですが…)

収録されている音楽は、映画『DIVA』であったり『Black Rain』であったり、バラエティに富みながらも音楽だけを聴いてみても充分に芸術性のあるものばかりで、最初に聴いた時以来、ボクにも気に入った一枚となりました。

全14曲中のちょうど中盤、7曲目に聞き覚えのある懐かしい曲が収録されていました。
ボクの耳に慣れたその曲は、ギターソロのトレモロがなんとも淋しげな旋律を持った印象の曲でした。
しかしこのCDに収められている曲では民族楽器などを使用したエスニックなイメージ
です。パンフルートのような木管楽器を使った繊細なイントロに始まり、エンディングに向けてはパーカッションが加わってエキゾチックなアレンジになっていて、それはそれで素敵な一曲に仕上がっているので、その後もふとした時に思い出して聴きたくなるような音楽です。

ジャケットをみると曲名と思しき箇所には「La Dechirure : Etude」と書かれています。
カミさんに訊けば、映画『The Killing Field (キリング・フィールド)』の曲だとのこと。
『キリング・フィールド』は、ポル・ポト政権下のカンボジアにおけるクメール・ルージュによる大量虐殺などをテーマに描いた作品です。
しかし、残念ながらボクは見たことのない作品でした。
そもそも「La Dechirure」と書かれていていても、それを『キリング・フィールド』であると翻訳することすらできないので、まずは単純に“キリングフィールド サウンドトラック”でネット検索をしてみることにしました。
その結果、この曲には『エチュード』という邦題がつけられていることや、この音楽を担当したマイク・オールドフィールドがイギリスの作曲家でありマルチプレイヤーだということもわかってきました。
そして、「タルレガの『アルハンブラの想い出』のアレンジ」という一文を見た時に「あー、なるほど」と納得したのです。

子供のころ、半日で帰ってきた土曜日の午後によく聴いていたTBSラジオ「土曜ワイド ラジオ東京」という番組の中に、聴取者(当時はまだ“リスナー”とは言わなかったのです)から送られてきた手紙を読むコーナーがありました。
パーソナリティは、永六輔氏から三国一朗氏に代わりましたが、そのBGMとして『アルハンブラの想い出』が流されていました。
昭和40年代の半ばから後半ですから、読まれる手紙の内容はまだまだ戦争中の話が多く、子供ながらに無情さを感じることの多いコーナーでした。
さらに検索してみたところ、トレモロの多いギターソロはどうやら、スペインのギタリスト、ナルシソ・イエペスのものらしい…。
今どきのインターネットの世界は、とても便利に進化しているのですね。
冒頭の30秒ほどを試聴できるサイトがあって、それによってボクの聴きたかった曲であることがわかったのでした。

ネットの恩恵で、映画『禁じられた遊び』のテーマ音楽でも有名な、ナルシソ・イエペスまでたどりつくことができました。
でも、もしイントロだけでなく一曲全てを手に入れようと思った時にはネットからのダウンロード販売ではなく、やはりCDショップで探し出して買いたいと思ってしまうのです、なぜだか。


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寒さ厳しくなって、今年初めて気づいたこと

どうも、I.Z.です。ご無沙汰しております。
一応、元気にしてますよ~。

東京でも積雪がありそうだと予報されていた今日1月21日は、二十四節気のひとつ、“大寒”だったそうですね。
結局、積雪どころか降雪すらほとんどなかったものの、一年で最も寒いという言葉の意味通り、ここのところの東京や横浜は、最高気温が10度に達しない日が何日も続いています。

朝、外出する時に玄関の扉を開けた時に感じる冷たさ。これが、一日二日ならきりっと引き締まる感じが気持ちいいのかもしれませんが、何日も前に引き締まったまま、凝り固まり気味なのが、今日このごろの朝の気分です。
きりっと引き締まるのと、もともと背中を丸め気味なのに寒い中外出しなければならないのとでは、だいぶ違いますよね。

ところで、ボクは上着やジャケットを着る時に前ボタンをかけたりファスナーを閉じる習慣がありませんでした。
もともと“ボタンをかける”ことがあまり好きではないようで、それは“ボタン”というモノそのものが好きではないみたいなところに端を発しているようです。
箱などにボタンが集められて入れてある様子などを見ると、なぜか鳥肌が立ったり、息苦しさを感じることすらあるのです。きっと、性に合わないのでしょうね。
そんなことが理由なのかどうかわかりませんが、とにかく上着のボタンをかける習慣がありませんでした。
スーツの上着にしても、コートにしても、ダウンジャケットのファスナーでも…。
ですから、ホントに寒い日に外に出た時、カミさんから「ちゃんと前を閉じないさい」と注意されて直されることもしばしばで、この歳になっても極めてコドモっぽい注意を受けてしまっています。
あ、そうだ。誤解のないように参考までに申し上げておきますが、仕事の時のワイシャツやオフの時に着るタンガリーシャツなどのボタンはキチンとしていますから。仕事の時は夏でもネクタイは欠かせませんし。

そんなボクが先週初めにちょっと寒いなと思って以来、外出の際には上着の前をキチンと閉じるようにしています。
ここのところの寒さもありますが、インフルエンザで年末年始の休みを棒に振ってしまったという後悔の念からでもあるようです。
マフラーをキッチリ巻いて襟元を整えて、上着のボタンをかけて、ジャケットのファスナーはマフラーの邪魔にならないところまで上げています。
そのおかげで、ここ最近は寒さを凌げています。

そんな重装備な格好で歩き始めて気づいたことがありました。
というのは、やはり保温効果が格段に上がったようだという、極めて基本的なこと。10分ほども歩くと、スピードや気温によってはうっすら汗ばむこともあるということを知りました。
歩くだけで汗ばむわけですから、若干の過剰防寒な状態なのだろうと思います。でも、ここで少し汗を掻くことで、前を閉じない時には好き放題育っていたお腹のメタボに多少なりとも刺激が行って、発育に抑制がかけられるようになるかも…?
そのほどはいかがなものかわかりませんが、少なくとも喉元や首筋からやってくる寒気(さむけ)には太刀打ちできそうです。これで、もうこの冬は風邪を引かずに済みそうです。

この歳になるまで、上着の前を閉めようという知恵が働かずにいたという事実。何を思って、今まで上着の裾をはためかせていたのでしょう。我ながら謎です。
風邪以上に大きな病気、頭の病気にかかってや、いないか?
皆さんも改めて防寒、抜かりのないようにして、この寒い季節を乗り切りましょう。


ネコに関する話

このブログの読者である勤務先の先輩が、ボクの記事にはワンコの写真は多いがネコの写真がないとおっしゃっているとのこと。
…なるほど。
そんなわけで、今日はネコの話を。

これは東京都庭園美術館のカフェレストラン
「cafe 茶洒(サーシャ) kanetanaka」の前で
ひなたぼっこをしていたネコです
(2005年4月23日撮影)

ボクがネコのことを記事に書かない大きな理由に、ネコに接することができないということが挙げられます。
いや、ネコが怖いというわけではなくて、ネコアレルギーなんですよね。
子どものころから、我が家にはワンコもネコもいないという生活を送ってきました。
そういったこともあって、ボクがネコアレルギーだと知ったのは、実は大人になってからだったのです。
それは、14年ほど前のなんとも大切な日のデキゴトでした…。

ボクが、当時のカノジョ(今のカミさん)の実家に初めて行った日のこと。
カノジョの家には、一平(ミニチュアシュナウザー♂)にケンタ(スコッチテリア♂)というワンコ2匹に、チーちゃんという白に茶色の混じった端正な顔をした女の子のネコが一匹いました。
ボクは生まれてこの方、金魚とミドリガメ以外の動物を飼ったことのない家に育ったので、ワンコやネコにはちょっとした恐怖心すらあったのですが、カノジョの家のワンコ、一平がとてもフレンドリーだったので、その日はワンコにもネコにも初めて心を開きつつあったのでした。
寒い季節だったので炬燵に入ってお話をしていたところ、一平はあぐらをかいたボクの膝に乗ってきて、甘えん坊ワンコらしく“撫でて攻撃”の末にお休み。
ややあって一平がボクの膝を離れると、今度はチーちゃんが膝に乗ってきました。
短毛で柔らかな巻き毛の一平に対して、同じ短毛でも柔らかい直毛のチーちゃんも撫で心地が気持ちよく、ついついいつまでも背中を撫でてあげていたのです。

カノジョやお母さんが出してくれるお菓子に手を伸ばしながら、いろいろなお話をしていました。
実はこの日、カノジョと結婚したいという意向をご両親に伝えようと思って伺っていたのです。
横浜から関西まで出かけていって、キメなければいけない日、だったのです、が…。

なんだか額や鼻頭が痒くなってきて、無意識のうちに指先で掻きにいくようになってきました。
左の額になんだかざらざらするモノがあるなぁなんて、意識の端で思うようになったころには、鼻をすすらざるにはいられないような衝動にも駆られていて、鼻に手を持って行くとそのまま眉間も掻きたくなって…。
顔面が熱くなってきて、首筋から背中も痒くなり、左の目から涙が出続けるようになったころ、カノジョがボクの異変にようやく声をかけてくれました。
「ど、どうしちゃったの?」
「わ、わかんない…」
チーちゃんがボクの膝からすっと降りていきました。
ボクは2階に連れて行かれ、きれいな布団に横にさせてもらいました。
左顔面が崩れ落ちているような感じがして、涙でキチンと前が見えていない状況です。

階下でお母さんが休日診療をしてくれる病院を問い合わせてくれている間に、カノジョはアイスノンと黒糖のかりんとうをボクのところに持ってきてくれました。
なんでも、じんましんには黒糖が効くのだとか。すごい民間療法です。
でもまあ、ボク自身眠くて寝床に入っているわけでもなく、またヒマだからといって雑誌か何かを読めるような眼の状態ではないので、黙って目を閉じてアイスノンで顔の左半分を冷やしたまま、かりんとうを食べることにしました。

やがて対応してくれる診療所が見つかり、お母さんの運転で病院に向かい、医者に身体を見てもらいました。
赤く腫れ上がっている部位は、顔から首筋を通って背中まで、腕は肘を中心に肩から手の甲まで及んでいました。
しかし、どうでしょう。カノジョの家の2階で身体を横にしてかりんとうを食べる前ほどには、ひどい状態でもなくなっていました。
患部を冷やした効果か、はたまたかりんとうの効果か…。

病院では血液を採取し、その検査の結果、ここで初めてネコアレルギーであることが明らかとなりました。
ネコアレルギー!?
一平は大丈夫で、チーちゃんがダメということだったのです。
病院に着くまでに腫れが引いてきていたのは、チーちゃんと距離がおけたことと時間が経ったことによるもの。
「黒糖がいいと聞いたので、食べていたんです」
医者にこう言うと、「あぁ~」とビミョーな半笑いでした。

カノジョの家に戻ってくると、もう帰りの新幹線の時刻が迫っていました。
結局、カノジョと結婚したいという意向は帰り支度のバタバタの中でほんの伝言のように伝え、それに対してお父さんが「あ~、はいはい」と答えてひとまず目的は達しました。
でも今思えば、ネコアレルギーに救われたのかもしれません。
カジュアルな形で済ますことができて、ボクにとって楽だっただけでなく、それはお父さんやお母さんにとっても、わざわざ硬いあいさつにならずに良かったのかもしれないのです。
お互い、かしこまったことにはちょっと苦手意識があるものですから…。

というわけで、以上がボクの、唯一のネコに関するお話です。


この写真は深大寺の境内にあるお蕎麦屋さん「深水庵」にいたネコ。
行列ができるほど混み合った店内を悠然と歩き回っていました。


…と、ここまで書いてきて一旦カミさんに読んでもらったところ、重大な事実が判明しました。
ボクがネコアレルギーであることを知らせてくれたチーちゃん。
記事中には女の子と書きましたが、実は男の子でした!
あれから今まで14年ほど、ボクはチーちゃんを女の子だと思い続けていたのでした。
ゴメン、チーちゃん!

http://home.a00.itscom.net/mumu-iz/nonki068.html


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IN CONCERT 2006 - BILLY JOEL

迷い犬の「源太」に右往左往させられているうちにすっかり冬になってしまっていたようなこの秋でしたが、そんな中でも先月末の28日には、東京ドームでビリー・ジョエルのコンサートをしっかり堪能してきておりました。

彼がつぎつぎヒット曲を生み出していたのは、ボクがまだ高校生だった頃のこと。
コンサートでは、その頃にガンガン聴いていた曲が次から次へと演奏され、ビリー・ジョエルのパフォーマンスを楽しみながら、当時のこともあれこれと思い出すひとときになりました。

アルコール依存症や鬱病で入院したり、交通事故を2度も起こしたりなどとウワサに聞いていたし、当時と比べて明らかに膨よかになってしまった体型を見るにつけ、時の流れを感じずにはいられないコンサートになるものと覚悟をしていましたが、そんな心配は無用であったばかりでなく、むしろ期待以上のものを楽しむことができました。

「Prelude」のピアノ早弾きで幕を開けたコンサートは、2曲目に早くも「My Life」、そして「Honesty」へ。
カセットテープが、ワカメ状態になってプレイヤーの中で切れてしまうほど聴き込んだアルバム、「52nd Street」からの2曲で、ボクはすっかり感極まってしまいました。

その後も名曲が続き、興奮は高まる一方だったのですが、その理由のひとつとして、ビリー・ジョエル本人の歌声が全く変わっていない、つまりボクたちが持っているイメージ通りの声がこの会場で再演されているということがあると思いました。
前述の通り、アルコール依存症や鬱病、アクシデントなどを経ても、とにかくあの繊細ながら力強い、伸びのある声が健在であったことが、期待以上のパフォーマンスだと思えた最大の要因でした。

さらに、ビリーは相変わらずよく動いていました。
ステージ両側に置かれた巨大スクリーンに映しだされる彼の手許は、以前から骨太ではありましたが、相変わらず繊細にメロディを奏で、時に力強く鍵盤の上で跳ねていました。
また、ピアノの元を離れて歌う場面では、マイクスタンドを投げ上げたり、思いの外軽快な身のこなしで踊ってみせたりと、とにかく57歳という年齢を感じさせない動きにも感激でした。

「Just the way you are」「Allentown」、そして本人曰く、20年以上もステージでは歌ったことのない「Stranger」…。
あのイントロの口笛こそ事前に収録されたものが使われていましたが、ジャジーで洒脱なサウンドとちょっと粘り気のある彼の声は、遠い日にLPレコードで聴いていたもの、そのものでした。

以前「ノンキな通信…Vol.27」で、「ABBA」はボクの人生の中で、かなり大きな部分を占めるポップスグループであると書きましたが、こと高校時代に限っていうと、既に活動をほとんど休止していた「ABBA」に対して、まさにヒットをつぎつぎ出しているさなかのビリー・ジョエルの方が大きい存在になっていました。
映画やテレビドラマでしか見たことのないニューヨークや、当時のアメリカで大きな問題になっていたベトナム戦争後のこと。
大都市、いろいろな街、さまざまな表情を持った人々。
ビリー・ジョエルの曲から、アメリカの様子をなんとなく頭に想い描いていたものでした。

この「ノンキな通信」をVol.1から全て収録してある、ボクのホームページのタイトル『I.Z.'s Attic (イーズィーの屋根裏部屋)』の“Attic”も、実は1981年発表のビリー・ジョエル初のライブアルバム「Songs in the Attic」で覚えた“Attic”という単語を使ったものです。

ビリー・ジョエルは、ボクが学生の頃からホントによく聴いていて、来日公演があるならばぜひとも行きたいと思っていたアーティストのひとりでした。
その夢が今年こうして叶い、今は非常に満足しています。

イントロのピアノソロでは「さくらさくら」をフィーチャーし、ビリー本人がハーモニカを吹いて、会場全体で合唱したアンコール曲「Piano Man」まで、本当に素敵な2時間でした。

今回もまたチケットを苦労して取ってくれたボクのカミさんに、最高の感謝の意を表したいと思います。
ほんとうに、ありがとう。素敵な結婚記念日になりました。


http://home.a00.itscom.net/mumu-iz/nonki067.html

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Author:I.Z.
I.Z.と書いてイーズィーと読みます。
こまめというわけにはいきませんが、ちょっとしたことを書き記してみます。

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