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♪ しゅは しゅはきませり ♪

♪ Dashing through the snow On a one-horse open sleigh ♪

小学校3年生と4年生の時の担任の先生は、音楽の教科書には載っていないいろいろな曲の歌詞を模造紙に書いては、それをみんなで歌うという、遊びながら学ばせるような授業をときどき催してくれました。
この曲 『ジングルベル』 も、クリスマスを前に英語の歌詞をカタカナで書き出して教えてくれたのでした。

♪ ダッシン スルー ザ スノー オナワン ホース オープンスレ~イ ♪

そんなわけで、『ジングルベル』 は歌詞のこの部分だけ、いまだに英語の歌詞を覚えています。
そんな経験からも、歌詞を忘れていない曲というのが何曲かあるのですが、そんな中、幼いころに覚えた不思議な一曲がこの時期、急に頭の中でぐるぐる回り出すことがあるのです。
歌詞はいまだに忘れていないものの、その意味は一切わからないと言い切れる一曲。
それは、クリスマスの賛美歌 『もろびとこぞりて』

♪ もろびとこぞりて むかえまつれ
ひさしくまちにし
しゅはきませり
しゅはきませり
しゅは しゅはきませり ♪

…これ、何語ですか? 呪文ですか? (笑
七五調ではなく、八六調(?)の不思議な文字列。
一部の言葉を漢字に置き換えれば、さすがにこの歳になれば歌詞の内容は理解できますが…。
決して嫌いな曲ではないのですが、歌詞が忘れられない分、むしろ混乱をきたしている一曲です。

When I was small, and Christmas trees were tall


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クラシック音楽を聴きに行く

ラジオから流れてくるクリスマスソングにもそろそろ食傷気味の今日このごろ。
クリスマス直前の三連休中日の昨日は、小学校から中学校時代の幼なじみがステージに登って演奏するということで、クラシックのコンサートを楽しみに川崎まで行ってきました。

ミューザ川崎


場所は ミューザ川崎シンフォニーホール。
2011年3月11日の東日本大震災において天井が崩落し、その後2年間かけて今年の4月1日に再開されたホールです。
楕円形の大きな器のようなホールの内部は、段々畑のように壁沿いにステージの後ろ側まで客席が配置されています。
こういったステージと客席の配置は “ヴィンヤード型”(ワインのぶどう畑型)と呼ばれ、比較的新しいホールで採用されているそうです。

ミューザ川崎シンフォニーホール


広場で誰かがパフォーマンスを始めた時に、その周りに聴衆が集まりやがてその輪が大きくなっていくのを模したレイアウトで、それが人間がパフォーマンスを楽しむ自然な姿という考え方から生み出されたものなのだそうです。
確かに、堅苦しさを感じないリラックスできそうな印象が強くありました。

さて、何年ぶりかのクラシックコンサート。
これまでは正直なところ、演奏を聴いて気持ちよくはなるものの、結局気持ちよすぎて眠ってしまったりしてしまうのが常でした。
素晴らしい演奏を聴いて眠れるというのもそれはそれで至高のひとときではあるのですが、演奏や楽曲そのものを楽しむことこそが奏者と聴衆の双方にとって幸せな関係だと思います。
今回は、そういった形でクラシック音楽を楽しんでみたいと思っていました。

東芝フィルハーモニー管弦楽団 第35回定期演奏会
曲目は、ビゼー:『アルルの女』 第一組曲・第二組曲と、ベルリオーズ:『幻想交響曲』 “ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲”。
指揮は、常任指揮者の河地 良智氏です。

ステージ正面手前側には弦楽器。指揮者の左側にヴァイオリン、指揮者を挟んで右側にはチェロとヴィオラとその外側にコントラバス。
その背後には照明にきらきら輝く管楽器が並びます。指揮者に近い方には小ぶりの楽器で、後ろに行くほど楽器のサイズが大きくなっていきます。そしてその背後の壁沿いには各種の打楽器が並びます。
今回は、ハープが2台並んでいたのが印象的でしたが、ワーグナーの演奏ではハープを6台並べることもあるのだそうです。

『アルルの女』も『幻想交響曲』も、どちらの演奏も、それはそれはとても素敵なものでした。
奏者ひとりが演奏する一台の楽器から聴こえてくるのは、マイクなど電気的な拡声を一切使用していない “生” の音。
そんな “生” の音を出す楽器が何台も集まって、実にアナログな方法で大きな音を造り出し、そこに他の楽器の集合体も加わって楽曲が奏でられる-
一つひとつの音は同じ楽譜を追って演奏されているので同じはずなのですが、そこは奏者一人ひとりの微妙な個体差が反映されていて、完全な複写ではない “揺らぎ” が生じていて、それが無意識のうちに楽曲に命を与えているような気がしました。

管弦楽団と和訳される「オーケストラ」という言葉は、ギリシャ語の「オルケストラ」に由来しているのだとか。
オルケストラは、古代ギリシャ時代の劇場の舞台と客席の間に設けられた半円状の楽器奏者用のスペースのこと。
つまり、オペラやバレエを演じる際の「オーケストラ・ピット」のことを指した言葉だったのですね。
それがいつしか奏者の集団のことをオーケストラと呼ぶようになった、と…。

楽器から奏でられる生の音、集団の力。
それらの音だけで造り上げられたひとつの物語が楽曲で、その楽曲を聴く人々は音から情景や人物の心情を想像して物語の世界に浸ります。
耳から入る情報を頭で映像化して心で感じること。
音楽を堪能することは、小説を読んだり映画を見ることと、なにひとつ違いはないのだということを改めて感じたひとときでした。
そしてその演奏者のほぼ真ん中にボクの小学校時代からの友だちがいて、きらきら輝く楽器を時としてひとりだけで奏でていることも、これまたボクにとってはうれしいことでした。

「年の瀬は第九」(ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調作品125、第4楽章『歓喜の歌』)という方々は多いと思いますが、「第九」でなくとも全然いいと思います。
自分なりのクラシック音楽の楽しみ方がわかってきたこと、これが今年のボクにとっての自分からのクリスマスプレゼントになったような気がしました。

ご招待、ありがとうございました。
ものすごく楽しめました。


夏は “松岡 直也”

8月に入ると、業務上も夏本格モードに突入。
いや、季節としての夏に“押せ押せ”な仕事をしているわけではありません。
企業の裏方的な部署で業務に就いているので、夏季休暇に向けて通常月とは違う動きをしなければならないことが多くなるというわけです。

そんなわけで、休みを前にもうすっかり夏休みモードなどというどころか、むしろ、炎天下をなりふり構わず全力疾走しなければならない瞬間すらあるというのが、ここ数日間のボクの業務です。

節電の影響でオフィスの中にいても暑く感じることもある中、炎天下の屋外に出て別の建物まで、気分の乗らない打ち合わせにも行かなければならないような時もありますが、いつでも自分を鼓舞しなければなりません。
気分が乗っていなければ、好い成果など出ませんからね。

そんな時に自分を盛り上げようとしている頭の中に、流れる曲があります。



松岡直也 「A FIRST FLIGHT」
「WATERMELON DANDIES」というアルバムに収録されている曲で、その他、「夏の旅」とか「日曜島へ」などというアルバムといっしょに、学生のころの一時期、聴き倒していました。

疾走感のある曲が、ベクトルが下に向きがちの姿勢を背中から羽交い締め。
否応なく背筋が伸びて、テンポが速くなり、身体の動きがリズミカルになってきます。

その他にも「ワクワク・ソンゴ !」や「WATERMELON DANDIES」、「日傘の貴婦人」に「田園詩」といった曲が、気に入っていました。
特に「日傘の貴婦人」という曲。
これはアップテンポの曲でもありませんが、最後の1分ほどに納められているセリフのない音だけのドラマがなんともいえません。
ジャケットの絵を見つめながら聴いていると、絵が動き始めるような感覚に包まれます。

松岡直也 「夏の旅」


iPod に入れて、久しぶりに聴いてみようと思います




Procol Harum 『Fellow Travellers』


プロコル・ハルムの「Fellow Travellers」。
ここのところ、頻繁に聴いている一曲です。

プロコル・ハルムは1960年代から1970年代に活躍した英国のバンドで、1967年のデビュー曲「青い影」(A Whiter Shade of Pale)は日本でも大ヒットしました。

そんな彼らの「Fellow Travellers」という曲は、2003年に発表したアルバム「The Well's on Fire」に収録されています。
ゲイリー・ブルッカーの愁いを帯びたようなヴォーカルが曲そのもののペーソスをよりいっそう引き立てているのは、40年近くも前の「青い影」と全く変わりません。
プログレッシブ・ロックというジャンルに分類されていた彼らの曲は、美しいメロディラインに対して、歌詞は何とも哲学的で難解です。
従って、ボクが理解するより深遠な意味が本当はあるのかもしれませんが、ボクはこの曲の最初の歌詞に興味を覚えたのでした。

 This life is a journey
 From shadow to shadow
 We are all fellow travellers
 To the end of the day

 人生は道行き
 暗がりから暗がりへ
 我らは皆、旅の道連れ
 その日の終わりに向けた
 (拙訳にて)

震災以降、「絆」や「仲間」「友情」などという言葉をいろいろなところで耳にするようになりました。
戦争を経験された世代はまた異なる印象があるのかもしれませんが、ボクにはそういった言葉は歯が浮くようなイメージしかありませんし、そんなわけで今まで口にしたこともありませんでした。
ですから、今いろいろなシーンで目にしたり耳にしたりするたびにどうしてもなじめない言葉だなぁと思わずにはいられないのです。そんな思いがある中で聴いたこの曲の歌詞でしたから、この言葉の感覚に軽い共感を覚えました。

ちょっと言葉を交わしただけだろうが、ものすごく仲が良くなった間だろうが、それは旅の途中でたまたま並んで歩いただけのこと。
たまたま同じ方向に向かって並んで歩いていた人のカバンから何かが転げ落ちたので拾ってあげたとか、上り坂で大荷物を持っていたから坂の上まで手伝ってあげたとか、そういうこと。坂の上までたどり着いたらひと息ついて「それじゃあ」って別れていく…。
そんなちょっとした親切を、「絆」や「仲間」なんておおげさに言わなくても、ねぇ。
まあ、極めて個人的な感想なので反論されても困ってしまうのですが…。


「Fellow Travellers」の歌詞を検索した時、“based on Lascia Ch'io Pianga by Handel”の注釈がありました。
ヘンデルの歌劇「リナルド」の中のアリア「私を泣かせてください」(原題「Lascia Ch'io Pianga」)の、いわば替え歌だったんですね。

メロディが素敵だったから別の歌詞をつけられた曲、そんな歌詞に共感を持ったのでした。




Heavy rotation

頭の中で同じ曲がずーっと演奏され続けていることがときどき、あります。
脳内ヘビーローテーションとでもいうのでしょうか。

ここ最近、そんな状況に陥ったことのある曲をいくつか、順不同で。


R.E.M. - Nightswimming


The Verve - Bitter Sweet Symphony


Nickelback - Photograph


Procol Harum - A Whiter Shade Of Pale


Lou Reed - Perfect Day


Billy Joel - Until The Night


Coldplay - Politik


Tom Waits - Tom Traubert's Blues

なぜか洋楽ばかりで、なぜか暗めの曲が多いようです。

最後はちょっと希望を持てる曲で締めくくりましょう。


Simon & Garfunkel - Bridge Over Troubled Water
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Author:I.Z.
I.Z.と書いてイーズィーと読みます。
こまめというわけにはいきませんが、ちょっとしたことを書き記してみます。

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