階段大好き
散歩の時、うた は階段を昇るのが大好きです。
軽快にぴょんぴょん上がっていきます。
意外とスタミナもあるようで、飼い主のボクの息が早くも上がってしまっても、うた は全然平気。
ぐいぐい引っ張ってくれるほどの力はもともとないのですが、同じペースでどんどん昇っていきます。
もはや昇るのに飽きてしまった弟犬、らく も仕方なくついていきますが、うた はとにかく軽快。
このスタミナにはいつも感心してしまいます。
エッシャーのだまし絵にある、あの無限階段を昇らせたら、喜ぶだろうなぁ。
ぐるぐるどんどん昇るだろうなぁ。
…もしあの階段があって うたが昇るなら、ボクもできる限り付き合って昇ってやりたいと思います。
かんゆーされた気がする
買ってみました。このまえ TOMOさん が紹介していた肝油ドロップ。が、帰ってから缶をよく見てみたらTOMOさんの とは違いました・・・とほほ。ちなみにコレは、バナナ風味です。たぶん、昔から同じ味・・・な?感じ。一粒食べれば、夜の・・・ドライブも安心?あ、でも 目ヂカラ up とはちと、意味が違う模様。。。デス。なははー。...
目ヂカラ を up させるべく
kamezoさんも“かんゆー”されたという、カワイ肝油ドロップ。画像の効能に、目の乾燥感の緩和に効くかもという一文を見て興味が湧きました。
で、さっそく購入。
“グミ”みたいな印象ですが、一応クスリなので、きちんと朝晩2錠ずつと決めて“服用”中です。
戦後の食糧不足などをごく一部引きずっていた世の中に生まれたボクの世代は、小学校で呑まされていたような記憶も若干ありますが、具体的にこんな食感だったのかという覚えは全くありません。
ふぅ〜ん、こんなものかぁ…。
サイト上には、一晩で一缶食べたとか、一缶一気に食べてしまったけれど身体に悪くないかなどの相談までも書かれていますが、まあ、そんな風に雨やグミ感覚で食べてしまう気分も分からないでもありませんね。
効果のほどですが、一週間ほど続けている感じでは、うん、目の乾燥感はなくなった気がします。
仕事と趣味で一日中PCを眺めているような生活ですが、乾き目は緩和されているようで、目がしばしばするようなことは、ここのところなくなっていますね。
少なくとも、この画像のようにモノがブレて見えるようなことはないです。
う〜ん、効くんだなぁ…。
過去に食べた印象はないのですが、この缶のデザインには懐かしさは感じます。
もうこの男の子もいいオジサンだろう…。いや、初老かも?
ともあれ、最もボクの印象と違っていたのは、缶が楕円形柱だったことでした。
丸缶じゃなかったっけ、かんゆー?
“ミキ”に逢いに行く…その3
《ここからのつづき》
「那珂湊」駅から10分ほど。
湊線の終点、「阿字ヶ浦」駅で、ミキ300-103を眺めます。
勝田寄りの正面から海側の側面を見たところ。
正面ではやはり、灰色に塗られた床下のスノープロウ(除雪板)が目立ちます。
瀬戸内海に面した明石から真北に20kmほどの兵庫県三木市。神戸市中央部からもそれほど遠くない場所ですが、冬場はけっこう積雪があるのでしょうか?
ともあれ、スノープロウは、ここ那珂湊では必須のアイテムではないと思います。
阿字ヶ浦寄りの正面(左)と、昨年9月に訪れた時に撮った、主力のキハ3710-01(右)。
1998年製のミキ300と1955年製のキハ3710は、1900年代後半に作られた地方鉄道向け“軽快気動車”として、ほぼ同期生。
基本性能などは大同小異といったレベルの差しかありません。
外観も、腰に据えられた角形前照灯と尾灯がセットになったユニットや、左右の差こそあれフロントガラス上部に設けられた行き先表示、また連結しての運行も可能なように正面中央に貫通路があるところも、基本的には同じです。
とはいいながらも、額から頭へかけての何もないつるりとしたところや大型曲面ガラス(パノラミックウィンドウと言います)は、比較的平面で構成されたキハ3710と比べて、柔らかいイメージがあります。
白い車体に赤と青の線というところも同じですが、水色とローズピンクに塗られたミキ300の方がこれまたなんとなく若い感じ。
やはり、ミキ300-103は、“ミキちゃん”という、女性のイメージのようですね。
車内には、4人ひと組のボックス席、クロスシートが並びます。
比較的ゆったりとした間隔のローズピンクのクロスシートは、白いビニール製のヘッドカバーも掛けられ、どこかちょっと特別な雰囲気を醸してます。
やはり、観光で乗る列車の座席はこんな具合にクロスシートであってほしいものですが、朝の通勤通学の時間帯はどうなのでしょう。
前後の出入口付近は、スムーズな乗降が図れるようにロングシートが配され、また天井からは吊革も下げられています。
天井で思い出したのですが、室内灯が白色アクリルのカバーに覆われているのは、“関西流”です。
東京近辺の通勤電車は蛍光灯がむき出しになっていますが、関西圏の通勤電車では特急車両などと同様に、こういった形で室内灯はアクリルカバーが掛けられているのが一般的です。
(JRの車両を中心に例外はありますが…)
出発前にもう一度外に出て、形式表示と銘板を押さえておきました。
ミキ300-103−薄くなってきた文字だけタッチアップしてもらったようですね。
平成10年 宇都宮製−あれ、生まれは意外にもこの茨城県の隣でしたか。
折り返しの便で「那珂湊」駅まで戻ってきました。
ミキ300-103は、これまでの湊線にはなかった魅力で、人気者となっていくことでしょう。
ボクは在りし日の三木鉄道に一回だけ乗ったことがあります。
それはまだこのミキ300型が生まれる前のこと。
加古川上流の、稲の刈り取りを全て終えた平坦な田んぼの間を延びる一本道を、三木鉄道初代のレールバス、ミキ180が1両でコトンコトンと…。
神戸市内から神戸電鉄で三木市まで来て、静かで穏やかな三木市の中心部を歩いて三木鉄道の「三木」駅まで。
そんな町外れの駅から乗り込んで、田んぼの真ん中を数駅。やがて、JR加古川線との乗り換え駅「厄神」駅に到着して終点。
日本の原風景のような景色の中を走っていたような気はするものの、それ以外に集客できるような要素は全くなさそうだと思ったのも事実でした。
沿線に住宅街があるわけでもなく、また鉄道自体もミキ180以外の車両がいるわけでもないので、鉄道ファンもあまり来ない路線だったのでしょう。
当初から経営は苦しかったはずのところに、廃線推進を推し進める政治勢力が伸してきて、比較的早くの撤退となってしまった路線が三木線でした。
そんな不遇を経て湊線にやって来たミキ300-103。
どうか湊線では、長く活躍してほしいと思っています。そんな活躍を見に、また訪問してみます。
「那珂湊」駅から10分ほど。湊線の終点、「阿字ヶ浦」駅で、ミキ300-103を眺めます。
勝田寄りの正面から海側の側面を見たところ。正面ではやはり、灰色に塗られた床下のスノープロウ(除雪板)が目立ちます。
瀬戸内海に面した明石から真北に20kmほどの兵庫県三木市。神戸市中央部からもそれほど遠くない場所ですが、冬場はけっこう積雪があるのでしょうか?
ともあれ、スノープロウは、ここ那珂湊では必須のアイテムではないと思います。
阿字ヶ浦寄りの正面(左)と、昨年9月に訪れた時に撮った、主力のキハ3710-01(右)。
1998年製のミキ300と1955年製のキハ3710は、1900年代後半に作られた地方鉄道向け“軽快気動車”として、ほぼ同期生。
基本性能などは大同小異といったレベルの差しかありません。
外観も、腰に据えられた角形前照灯と尾灯がセットになったユニットや、左右の差こそあれフロントガラス上部に設けられた行き先表示、また連結しての運行も可能なように正面中央に貫通路があるところも、基本的には同じです。
とはいいながらも、額から頭へかけての何もないつるりとしたところや大型曲面ガラス(パノラミックウィンドウと言います)は、比較的平面で構成されたキハ3710と比べて、柔らかいイメージがあります。
白い車体に赤と青の線というところも同じですが、水色とローズピンクに塗られたミキ300の方がこれまたなんとなく若い感じ。
やはり、ミキ300-103は、“ミキちゃん”という、女性のイメージのようですね。
車内には、4人ひと組のボックス席、クロスシートが並びます。
比較的ゆったりとした間隔のローズピンクのクロスシートは、白いビニール製のヘッドカバーも掛けられ、どこかちょっと特別な雰囲気を醸してます。
やはり、観光で乗る列車の座席はこんな具合にクロスシートであってほしいものですが、朝の通勤通学の時間帯はどうなのでしょう。
前後の出入口付近は、スムーズな乗降が図れるようにロングシートが配され、また天井からは吊革も下げられています。
天井で思い出したのですが、室内灯が白色アクリルのカバーに覆われているのは、“関西流”です。東京近辺の通勤電車は蛍光灯がむき出しになっていますが、関西圏の通勤電車では特急車両などと同様に、こういった形で室内灯はアクリルカバーが掛けられているのが一般的です。
(JRの車両を中心に例外はありますが…)
出発前にもう一度外に出て、形式表示と銘板を押さえておきました。
ミキ300-103−薄くなってきた文字だけタッチアップしてもらったようですね。
平成10年 宇都宮製−あれ、生まれは意外にもこの茨城県の隣でしたか。
折り返しの便で「那珂湊」駅まで戻ってきました。
ミキ300-103は、これまでの湊線にはなかった魅力で、人気者となっていくことでしょう。
ボクは在りし日の三木鉄道に一回だけ乗ったことがあります。
それはまだこのミキ300型が生まれる前のこと。
加古川上流の、稲の刈り取りを全て終えた平坦な田んぼの間を延びる一本道を、三木鉄道初代のレールバス、ミキ180が1両でコトンコトンと…。
神戸市内から神戸電鉄で三木市まで来て、静かで穏やかな三木市の中心部を歩いて三木鉄道の「三木」駅まで。
そんな町外れの駅から乗り込んで、田んぼの真ん中を数駅。やがて、JR加古川線との乗り換え駅「厄神」駅に到着して終点。
日本の原風景のような景色の中を走っていたような気はするものの、それ以外に集客できるような要素は全くなさそうだと思ったのも事実でした。
沿線に住宅街があるわけでもなく、また鉄道自体もミキ180以外の車両がいるわけでもないので、鉄道ファンもあまり来ない路線だったのでしょう。
当初から経営は苦しかったはずのところに、廃線推進を推し進める政治勢力が伸してきて、比較的早くの撤退となってしまった路線が三木線でした。
そんな不遇を経て湊線にやって来たミキ300-103。
どうか湊線では、長く活躍してほしいと思っています。そんな活躍を見に、また訪問してみます。
かわさき応援バナナ
ワンコを遊ばせに行く道すがら、農産物直売所に寄ってみました。
ホームページには「川崎市唯一のJA直営の農産物直売所」とありますが、ここは東南方向から北西方向に細長く延びる川崎市の中でももっとも北西端に近い場所ということもあって、東京都町田市や稲城市からもすぐの場所です。
週末のお昼前、新鮮な野菜を求めて、駐車場はひっきりなしのクルマの出入りでした。
そんな駐車場の一角にテントが立てられて、こんなモノが売られていました。
『かわさき応援バナナ』 198円也。
先日、全国紙の地方版でも紹介されていましたが、このバナナ、一房を買うとその金額 198円の中から 3円が川崎市に社会貢献費用としてまわるのだそうです。
集められたお金は、目下サッカーJ1の首位に立つ地元川崎の『川崎フロンターレ』のホームグラウンド、等々力競技場の改修費用に充てられるのだとのこと。
地元は横浜ながら、地元スポーツチームは今ひとつ応援したくないボクは、サッカーではこの「フロンターレ」が何となく気に入っています。
思えばJリーグが始まった当初、川崎には「ヴェルディ」というチームがあって、この等々力競技場をホームグラウンドとしていました。
しかしながら、地元を大切にはせずメインの試合はほとんど東京の国立競技場でおこない、たまにホームで試合をやればサポーター共々「古い、狭い」などと言い、川崎市が改修に乗り出した直後に、東京に移転していきました。
そこから、地元に根付いたチームを育てようということで伸び上がってきたのが、この「フロンターレ」でした。
最近はサッカーの試合を見に行ってはいませんが、等々力競技場の貧弱さは知っています。
ボクはもともと川崎市で育ったので、小学校や中学校の時に等々力競技場のトラックで走ったりしたこともあり、まあその30年以上前の印象とあまり変わりない今の等々力競技場。
競技場として一流になって、選手とサポーターの間に距離ができてしまうのもよくありませんが、何万人という集客をしながら、それに耐えられないような施設であるのはもっと問題があります。
地元に根付いたチームとして、常に上位に居続けられるチームになってきた「川崎フロンターレ」。
そんな強さの原動力の一躍を微力ながらも担いたいと思い、「かわさき応援バナナ」を買ってみました。
ホームページには「川崎市唯一のJA直営の農産物直売所」とありますが、ここは東南方向から北西方向に細長く延びる川崎市の中でももっとも北西端に近い場所ということもあって、東京都町田市や稲城市からもすぐの場所です。
週末のお昼前、新鮮な野菜を求めて、駐車場はひっきりなしのクルマの出入りでした。
そんな駐車場の一角にテントが立てられて、こんなモノが売られていました。
『かわさき応援バナナ』 198円也。
先日、全国紙の地方版でも紹介されていましたが、このバナナ、一房を買うとその金額 198円の中から 3円が川崎市に社会貢献費用としてまわるのだそうです。
集められたお金は、目下サッカーJ1の首位に立つ地元川崎の『川崎フロンターレ』のホームグラウンド、等々力競技場の改修費用に充てられるのだとのこと。
地元は横浜ながら、地元スポーツチームは今ひとつ応援したくないボクは、サッカーではこの「フロンターレ」が何となく気に入っています。
思えばJリーグが始まった当初、川崎には「ヴェルディ」というチームがあって、この等々力競技場をホームグラウンドとしていました。
しかしながら、地元を大切にはせずメインの試合はほとんど東京の国立競技場でおこない、たまにホームで試合をやればサポーター共々「古い、狭い」などと言い、川崎市が改修に乗り出した直後に、東京に移転していきました。
そこから、地元に根付いたチームを育てようということで伸び上がってきたのが、この「フロンターレ」でした。
最近はサッカーの試合を見に行ってはいませんが、等々力競技場の貧弱さは知っています。
ボクはもともと川崎市で育ったので、小学校や中学校の時に等々力競技場のトラックで走ったりしたこともあり、まあその30年以上前の印象とあまり変わりない今の等々力競技場。
競技場として一流になって、選手とサポーターの間に距離ができてしまうのもよくありませんが、何万人という集客をしながら、それに耐えられないような施設であるのはもっと問題があります。
地元に根付いたチームとして、常に上位に居続けられるチームになってきた「川崎フロンターレ」。
そんな強さの原動力の一躍を微力ながらも担いたいと思い、「かわさき応援バナナ」を買ってみました。














