《
ここからのつづき》

「那珂湊」駅から10分ほど。
湊線の終点、「阿字ヶ浦」駅で、ミキ300-103を眺めます。

勝田寄りの正面から海側の側面を見たところ。
正面ではやはり、灰色に塗られた床下のスノープロウ(除雪板)が目立ちます。
瀬戸内海に面した明石から真北に20kmほどの兵庫県三木市。神戸市中央部からもそれほど遠くない場所ですが、冬場はけっこう積雪があるのでしょうか?
ともあれ、スノープロウは、ここ那珂湊では必須のアイテムではないと思います。
阿字ヶ浦寄りの正面(左)と、昨年9月に訪れた時に撮った、主力のキハ3710-01(右)。
1998年製のミキ300と1955年製のキハ3710は、1900年代後半に作られた地方鉄道向け“軽快気動車”として、ほぼ同期生。
基本性能などは大同小異といったレベルの差しかありません。
外観も、腰に据えられた角形前照灯と尾灯がセットになったユニットや、左右の差こそあれフロントガラス上部に設けられた行き先表示、また連結しての運行も可能なように正面中央に貫通路があるところも、基本的には同じです。
とはいいながらも、額から頭へかけての何もないつるりとしたところや大型曲面ガラス(パノラミックウィンドウと言います)は、比較的平面で構成されたキハ3710と比べて、柔らかいイメージがあります。
白い車体に赤と青の線というところも同じですが、水色とローズピンクに塗られたミキ300の方がこれまたなんとなく若い感じ。
やはり、ミキ300-103は、“ミキちゃん”という、女性のイメージのようですね。
車内には、4人ひと組のボックス席、クロスシートが並びます。
比較的ゆったりとした間隔のローズピンクのクロスシートは、白いビニール製のヘッドカバーも掛けられ、どこかちょっと特別な雰囲気を醸してます。
やはり、観光で乗る列車の座席はこんな具合にクロスシートであってほしいものですが、朝の通勤通学の時間帯はどうなのでしょう。
前後の出入口付近は、スムーズな乗降が図れるようにロングシートが配され、また天井からは吊革も下げられています。

天井で思い出したのですが、室内灯が白色アクリルのカバーに覆われているのは、“関西流”です。
東京近辺の通勤電車は蛍光灯がむき出しになっていますが、関西圏の通勤電車では特急車両などと同様に、こういった形で室内灯はアクリルカバーが掛けられているのが一般的です。
(JRの車両を中心に例外はありますが…)
出発前にもう一度外に出て、形式表示と銘板を押さえておきました。
ミキ300-103−薄くなってきた文字だけタッチアップしてもらったようですね。
平成10年 宇都宮製−あれ、生まれは意外にもこの茨城県の隣でしたか。
折り返しの便で「那珂湊」駅まで戻ってきました。
ミキ300-103は、これまでの湊線にはなかった魅力で、人気者となっていくことでしょう。
ボクは在りし日の三木鉄道に一回だけ乗ったことがあります。
それはまだこのミキ300型が生まれる前のこと。
加古川上流の、稲の刈り取りを全て終えた平坦な田んぼの間を延びる一本道を、三木鉄道初代のレールバス、ミキ180が1両でコトンコトンと…。
神戸市内から神戸電鉄で三木市まで来て、静かで穏やかな三木市の中心部を歩いて三木鉄道の「三木」駅まで。
そんな町外れの駅から乗り込んで、田んぼの真ん中を数駅。やがて、JR加古川線との乗り換え駅「厄神」駅に到着して終点。
日本の原風景のような景色の中を走っていたような気はするものの、それ以外に集客できるような要素は全くなさそうだと思ったのも事実でした。
沿線に住宅街があるわけでもなく、また鉄道自体もミキ180以外の車両がいるわけでもないので、鉄道ファンもあまり来ない路線だったのでしょう。
当初から経営は苦しかったはずのところに、廃線推進を推し進める政治勢力が伸してきて、比較的早くの撤退となってしまった路線が三木線でした。
そんな不遇を経て湊線にやって来たミキ300-103。
どうか湊線では、長く活躍してほしいと思っています。そんな活躍を見に、また訪問してみます。