東京・佃島の “赤い橋” を見に行く

台風一過の今日は、東京・佃島の “赤い橋” を見に行ってきました。

佃小橋

徳川家康が大阪・堺の地で本能寺の変の報を受け大阪に向かおうとしたものの出水に見舞われ困難に直面してしまう。その際に時に手助けをしてくれた地元、大阪・佃の人々への恩賞として、のち家康が江戸に幕府を開くに当たり幕府の「御菜御用」を命じて大阪より出府させて、ここに土地を埋め立てて住まわせ、“佃島” と命名して、漁に特権を与えるなど、佃の人々を厚遇してた栄えさせた地。

佃小橋

佃小橋

この “赤い橋”「佃小橋」は、隣の石川島と佃島との間に架けられた、運河を渡る橋。
寺社への参道に架かる橋のような印象ですが、生活道路として使われているふつうの橋です。

地元のおじさんがふらっとやって来て欄干に持たれて煙草を吸ったり、軽トラックが走り抜けて行ったりという風景がなんとも好い感じです。

佃小橋

そんな赤い橋を眺めていたら、この佃小橋が舞台というわけではありませんが、15年ぐらい前に映画で見た「赤い橋の下のぬるい水」という辺見庸氏の官能的なファンタジー小説を思い出しました。
“水” へのオマージュといった作品です。
静かな水に眼差しを向けること、なんだか落ち着きますね。

冷蔵庫

今どき、冷蔵庫のない生活など考えられない。
しかも、もともと冷蔵庫がないという状況ではなく、これまで冷蔵庫があったのに故障で不意に使えなくなってしまった結果としての、冷蔵庫のない生活-

10日間近くも、そんな生活をしていました。
結婚後に買い換えて20年ほど活躍してきた、310Lの冷蔵庫が、10日ほど前に不意に仕事を投げ出してしまったのです。
いつ仕事を辞めてしまったのかはわかりません。
ちょっと夜遅く帰ってきたので冷蔵庫も開けなかった日をはさんだら、庫内に入っていた作り置きなどがあっさりと微生物の餌食になりました。
匂いを嗅いでも問題なさそうだと思えた牛乳を少しだけ口に含んでみたら、わりと早いうちにお腹をやられました。
高い気温や湿度から来る汗と、非常事態に陥って焦る冷や汗と、お腹に力が入れられない脂汗…。

わずかな救いは、冷凍庫は80%ぐらいの稼働力には落ちているものの、なんとか動いていること。
朝、製氷皿に水を張って仕事に出かけると、夜に帰宅した時には氷はできていました。
但し、冷凍庫から取り出すとすぐに周囲が溶け出して水浸しになってしまう程度の凍り方。
冷凍ではなく “パーシャル”(約-3度)の状態。
中に入れてあった魚の干物や豚のバラ肉などは、保存状態はなんとか保たれていました。

仕事帰りに冷たい飲み物を買ってくるわけにもいかないですし、朝食に食べようとヨーグルトなんかも買って帰れません。
ここ10日間ほどは、自宅に帰っても、氷を入れた水を飲むことぐらいしかできなかったのです。

そんなこんなの日々でしたが、今日の昼、発注をしていた新しい冷蔵庫が届き、ようやく元の生活に戻れることになりました。
新しい冷蔵庫は、家電品といえばお気に入りの、東芝製の410Lです。
それにしても、水を入れておけば勝手に氷を作ってくれたり、前面の片隅をタッチするだけでポンと扉が開いたり、できたての熱々の料理を突っ込める小部屋があったり、今どきの冷蔵庫はすごい。

冷蔵庫


花火にまつわる話

​ここ1、2年、この時期になると思い出すこと-

数年前のこの季節、週末の夕方だったか…。
ひといきつこうと横浜駅の近くのカフェにいた時のこと、隣のテーブルにいた、ふたりとも20代後半とおぼしき比較的落ち着いたカップルの会話が聞こえてきました。

「来週はどうするの?」
「それがさあ、愛知県の蒲郡(がまごおり)っていうところに行かなくちゃならなくなってさ」
「え? ガマゴーリ? どこそこ? 出張なの?」
「そうじゃないんだよね…」

夫婦ではなさそうなこのふたり、彼氏なのかそうでもないのか、ともかく男性が落ち着き払った口調でさらに続けます。

「去年の暮れにじいちゃんが亡くなったんだけどさ、なんか遺言でさ…
 愛知県の蒲郡で夏に行われる花火大会で花火を一発打ち上げるようにって書かれていたらしくって、行くことになったんだよ。
30万円だったか10万円だったか、それで一発打ち上げるんだって」
「え、なにそれ? おじいっちゃんって、愛知県の生まれなの?」
「いや。うちは両親ともずっと横浜」
「偉い人だったり?」
「いやぁ、特には…」
「え~」
「なんかよくわかんないんだけどね」
「じゃあ、ご家族みんなで泊まりがけとかで行くんだ」
「いや、オレだけ。
 全然知らない町にひとりで行ってこいってことになって…。
 一発上がる花火を見に行くわけ」
「へぇ~。どんな花火なのかしら?」
「知らない。聞いてないよ。
 会場で提供者の名前がアナウンスされて、それで上がるんじゃないかな」
「へぇ~…」

ふたりの会話の口調や地名など細かいところに相違はあるかもしれませんが、話していた内容は事実です。
笑える話と捉えるかファンタジーと捉えるかはおまかせします。
でも、ちょっと面白くて、なんだか好い話じゃないですか?

2016年8月6日 横須賀の花火

そういえば、あの頃はいろいろなところに花火を見に行っていましたが、去年8月初めに横須賀で見て以来、今年も花火大会、行ってないなぁ。
先週の多摩川の花火大会も中止になっちゃったし…。

魚藍亭に 「よこすか海軍カレー」 を食べに行く

ご当地グルメというものは往々にして、その背景や地域の文化などの知識を得ないことには実際に食したとしても解釈できないもの。
この “よこすか海軍カレー” も、そんな一皿でした。

魚藍亭 “よこすか海軍カレー”

もともとは、イギリス海軍が航海中にシチューを供したいと思ったものの牛乳は保存が利かないので同じ具材で牛乳の代わりに香辛料を使用することでレシピが固まったという、イギリスのカレー。
そのレシピを明治時代の日本海軍が伝授され日本でも軍隊食になった海軍カレーを、明治末期に発行された公式のレシピ本に忠実に再現させたものが、ここ、魚藍亭 の “よこすか海軍カレー”。

今でこそ、多くの人たちが独自のアイデアを盛り込んで、バリエーション豊かな国民食となっていますが、その原点ともいえるべき味が、この “よこすか海軍カレー” なのだそうです。
甘口か辛口かそういう分け方すらもない、素朴で懐かしいカレーです。
添えられた福神漬けと、チャツネもほんの耳かきひとさじほどで、またなんとも柔らかい感じ。
辛くないのは、航海上で船員たちがこぞって水をたくさん飲まないようにするためのことだったのかもしれません。実にあっさりとしたやさしいカレーです。

魚藍亭は元は活き魚料理店で、そこに19年前からは一部をカレーのお店にして人気を博してきたのですが、建物の老朽化などによって、この8月27日で閉店になってしまうのだそうです。

魚藍亭 「よこすか海軍カレー館」

レシピ本からカレーを再現した女将が他界し、建物も老朽化してきたのでお店の歴史が閉じられるというのは致し方のないことなんもかもしれませんが、その間に “よこすか海軍カレー” は地元に根付き、今は市内40店舗ほどで楽しめるだけでなく、レトルトとして全国で手に入るほどにもなりました。

ボクが今回初めて食べた、魚藍亭の “よこすか海軍カレー”は、これは今日で食べ納め。
ですが、イギリス海軍から日本海軍に伝えられて生まれた “よこすか海軍カレー” は、もしこの魚藍亭が復活することはなかったとしても、また市内のどこかでしっかりと伝えられて今後も楽しめるのだろうと思います。
基礎がしっかりとしたご当地グルメというのは、そういうものだとボクは思っています。

お坊さんはスクーターで移動する

京都 上七軒にて

京都 上七軒にて


こどものころ、夏休みを父方の故郷、静岡近郊の宿場町で長く過ごしたことが多かった。
お盆前後のこの時期は、区画整理が始まる直前の古い街並みの中を、近所のお寺の住職がスクーターに乗って細い路地を行き来する姿を特によく見かけた。
そんな幼い頃の記憶が今、「お坊さんはスクーターで移動する」という、格言のようなひとつの成句として、ボクの頭の中にこびりついてしまった。

カミさんにそんな話をしたら、笑いながらもどこか自分なりにしっくりくるところがある様子だった。
今年の夏は、京都や奈良でスクーターに乗る僧侶の姿をよく目にした。
今日8月19日は、「バイクの日」なのだそうな。

写真は8月13日、京都・上七軒にて撮影

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